僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

単調な生活

会社と自分のアパートを往復するだけの単調な生活が始まった。東京に遊びに出ることもなかった。僕は落ち込んだ気持ちを忘れようと、仕事に打ち込むようになった。たまっていた書類を片付け、デスク周りを整理し、仕事を効率化する新しい書式をワープロで次々に作成した。もてあました時間でブラインドタッチの練習もして、じきに身につけた。会社の同僚ともよく飲みに行くようになり、嫌いだったカラオケもやった。

学生時代以来やめていたサックスの演奏も再開した。文子は僕のサックスがあまり好きじゃないといっていたし、バンドを組む仲間もいなかった。それでジャズ研の後輩で演奏活動を続けていた岩沢君に、サックスを貸したままにしていたのだが、久しぶりに再会してサックスを返してもらった。「Sさん、楽器返す代わりに、僕のバンド手伝ってくださいね」僕は楽器の練習をはじめ、彼のバンドのリハーサルに参加するようになった。

一人の夜を過ごすため、前から時々飲みに行っていた小さなジャズ・バーによく顔を出すようになった。そこに集まる常連たちのやっているジャム・セッションでも時々サックスを吹きはじめた。

楽しいことがあった日には、文子に電話をした。僕の話を彼女は嫌がらず聞いてくれた。「元気そうでよかった」と彼女は言った。時々、新しい恋人の村山君が来ているらしい時もあった。それでも僕は、彼女がもどってきてくれるような気がして、自分を変えようといろいろできることに取り組んだ。文子が離れていったのは、やはり僕自身にも原因があるのだと思ったからだ。同じ課の香織には文子とのことを話し、時々相談にのってもらうようになった。小田原にもよく遊びに来ていた文子をよく知る香織も「小僧はきっと帰ってくるよ」と励ましてくれた。

10月が近づいた頃、文子が電話で言った。

「部屋に置いていった荷物、取りに来てくれない?・・・電話ももうしないで欲しいの」

村山君が、僕とはっきり別れてくれと彼女に話したらしい。

「わかったよ。今度の休みに行く。・・・村山君にも会わせてくれる?」
「うん。言っておく」

10月のはじめ、僕は車で文子のマンションに行った。久しぶりに会う彼女は、ずっと短かった髪を少し伸ばしていた。はじめて村山君を紹介された。背が高い、性格の明るそうな男だった。かれはソファにすわり、僕と文子が荷物の整理をするのを黙って見ていた。下着や、歯ブラシ、本、中華鍋。CDは文子が欲しいというものは置いていった。よく聴いた小野リサ細野晴臣を彼女は選んだ。真木悠介の「気流の鳴る音」*1は「読んでみなよ」と置いていった。R.D.レインの「好き?好き?大好き?」も。大きな額に入ったモダンアートのポスターは持っていった。彼女のお気に入りのクレーの絵「さわぎく」*2の額はあげることにした。

ひととおり片付け、部屋を出るとき「またお会いしそうですね」と村山君が言った。車まで見送りに来た文子は、「どうもありがとう」といって僕たちは握手した。小さな手だった。「キスはしてくれないの」と聞くと「それはダメ」と文子はうつむいた。

「小僧、村山君にはなんて呼ばれてるの?」
「・・・ふーちゃん・・・」
「小僧はやっぱり小僧のほうが似合ってるよ」
「そうかな」
「じゃあね」
「うん・・・わたし、幸せになれそうだよ」

部屋にもどる彼女を見届けて車を出した。涙が溢れそうなのをこらえて。

*1:文化人類学カスタネダの「ドンファンの教え」をモチーフに世界の成り立ちを考察した名著

*2:大きな丸い顔をした人物を明るい色で描いたクレーの代表作