僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

はじめての異性

文子も僕も、異性の身体に触れるのは初めて同士だった。お互いふたりの関係に夢中になり、しばしば彼女のアパートで一緒に過ごすようになった。僕は自宅から大学に通っていたが、家を空けることが多くなった。彼女は風呂無しの古い木造アパートでつつましく暮らしていて、いつもふたりで銭湯に行った。風呂上りに部屋でビールを飲むのがしあわせだった。

若かった僕は、小さくて細い文子の身体をいつも求めたが、まだ深く彼女を愛しているとはいえなかった。彼女への気持ちが大きく変わったきっかけがある。授業に出かけていった文子の留守に、僕は彼女の日記を見てしまったのだ。


「Sさんはほんとにわたしのことが好きなのかな」「初恋は悲恋に終わるというけれど、わたしたちもそうなのかなあ」「わたしはSさんのことが、とっても好き」


文子がそんな不安な気持ちでいたことを分かっていなかった自分が、どうしようもなく感じられ、彼女へのいとおしさがこみ上げてきた。なにがあっても文子とつきあっていこう。別れるのは、彼女が自分から別れたいといったときだけだ。そんな思いを強く心にいだいた。それから文子は僕にとって無くてはならない存在になっていった。

一緒にライブに行ったり、ミニシアターで映画を観たり、美術館へ行ったり。いつもお酒を飲んで陽気に笑う彼女が好きだった。食欲も旺盛で、小さな身体で中華もエスニックもよく食べた。長崎出身だけに魚料理は大好きだった。春・夏・冬の長い休みには彼女は長崎の実家に帰った。長く別れるといいようのない欠落感があった。そんなときはお互いに手紙を何度もやり取りした。

はじめて一緒に旅行したのは冬の北陸。鈍行の夜行列車に乗り、冬の日本海を見に行った。小浜・東尋坊・福井。海は荒れていたが、町の食堂で食べた魚がおいしくて、ふたりで喜んだ。

卒業旅行では僕は九州を周遊し、その旅の途中、帰省していた文子と長崎で1日を過ごした。彼女の生まれ育った街を一緒に歩くのはうれしいような照れくさいような気持ちだった。

毎日のように一緒に過ごした時間も僕の卒業・就職でおわりをむかえる。文子と過ごした学生生活は、貧しいけれど楽しくしあわせな日々だった。