僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

プチ遠距離恋愛

ある大手メーカーに就職した僕の配属先は小田原だった。小田急沿線に住む文子とは、電車1本だがかなりの距離がある。僕は会社が独身社員寮として借り上げたアパートに入居したが、休日は毎週のように、仕事が早く終わった日にはその足で彼女のアパートに向かった。次の日の朝の長距離通勤はつらかったけれど、彼女と少しでも一緒にいたかった。疲れたときにはロマンスカーを使い「これがほんとのロマンスカーだ」などと冗談を言っていた。まあちょっとした遠距離恋愛というやつだ。

夜遅くに文子の家に着くと、深夜営業している焼肉屋によく行った。渋谷にあった台湾料理屋へ出かけることも多かった。会っても別にろくなことは話さない。なれない社会人生活のストレスが彼女と過ごすことで癒された。今思うと、そのころの僕はストレスのはけ口を文子に求めていて、彼女の身体にDVとまでは行かないにせよ、結構手荒なこともしていた。それでも彼女は嫌がらなかった。彼女も僕との関係に依存していたのだと思う。

営業の仕事をしていた僕はしばらくして会社の車を使えるようになり、文子のところへも高速道路を飛ばして行くようになった。車で足尾銅山跡や日光に旅行もした。日光金谷ホテルのクラシカルな建物が僕たちはすっかり気に入った。箱根の富士屋ホテル奈良ホテルなどのクラシックホテルも泊まり歩いた。

そのころはバブル景気で、世は浮かれ僕たちも銀座でよくデートした。まあ銀座といっても、クラシカルなビヤホールのライオンとか、サラリーマンたちが集まる洋風居酒屋でいつも飲んでいたのだが。長崎料理の店、吉宗(よっそう)も銀座にあり、名物茶碗蒸しと皿うどんを食べに行ったものだ。

秋の夜に代々木公園にふたりで忍び込んだときのことをよく覚えている。散り積もった枯葉の上を転げまわり、葉をまき散らし子供のように遊んだ。こんな時間が永遠に続いていくような気がしていた。