僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

文子の言葉

朝6時半起床の病院から解放され、僕は毎日昼近くまで眠るようになった。とにかく眠くて起きられなかった。昼間も何もすることなくごろごろ。夜はなかなか寝付かれず夜更かしをした。そんな生活が長く続いた。病者への温かく真摯なまなざしを持つ精神科医中井久夫「最終講義 分裂病私見」の中でこのように述べている。

私の「回復」とは幻覚妄想が弱まり消失してから後の時期を指します。幻覚妄想が消えたら治ったのではありません。そこから治ってゆく過程が始まるのです。これは家族の方にもきちんと伝えておく必要があります。(中略)急性期の消耗は非常なものであると推定されます。その回復には十分な時間と庇護とが必要です。これは医師の間でも十分理解されていないかもしれません。

たとえごく短い急性期であっても、精神は多大なダメージを受ける。その回復には、急性期の何倍もの期間の休息が必要なのだ。幸い僕の家族は、焦ることなく僕の休息を見守ってくれた。退院したのにいつまでもダラダラしているとか、薬が強すぎるのではといった焦りは、患者自身も家族もとらわれるべきではないと思う。


そんなある日、仙台のR子さんから電話がかかってきた。彼女は大学のジャズ研の後輩で文子の同期。学生時代には僕たちは仲がよかった。僕は入院前に、文子の新しい恋人が精神病になり彼女が苦しんでいるという妄想に支配され、R子さんに電話をして文子のことを聞いていないか尋ねた。R子さんは僕の精神が変調を来たしていると察知し、入院中にも電話をくれ、心配してくれていたのだ。無事退院したことをR子さんは喜んでくれたが、彼女の今回の電話は文子からのことづけに関するものだった。


「S先輩、私ね文子ちゃんに電話したの。文子ちゃんにね、Sさんが今、あることでとても苦しんでいるから、連絡をしてあげて欲しいっていったの・・・。でも文子ちゃん、『わたしたちのことは、もう終わったことだから・・・なにも言わないで』って相手にしてもらえなかったの」

「文子ちゃん、ほんとに素敵な子だったのにね。わたしに一生懸命、光の三原色のこと教えてくれたり、夏合宿の時には夜、ふたりで上半身はだかんぼになって、ホテルの前のスキー場を走り回ったんだよ。わたしたちふたりともおっぱい小さいけどね・・・社会人になってから、だんだん変わっちゃったんだよね」


僕は、R子さんの言葉に胸が締めつけられた。僕は一生、文子に統合失調症になったことは伝えないだろうと思った。R子さんは、「S先輩、聴いてくださいね」と電話の向こうで即興でピアノを弾き始めた。スキャットを交えながら楽しそうに、のびやかに彼女は演奏してくれた。


「R子さん、ありがとう。いつか仙台に遊びに行くからね」
「待ってますよ」


僕はほどなく、R子さんに自分の入退院に関する簡単な手紙を送った。もちろんそのときには自分の病気を客観的に振り返るだけの余裕はなかったので、ごく簡単なものだったと思う。内容は忘れてしまった。


文子とは終わったのだ。やはり僕には香織しかいない。そのときの僕はそう信じていた。

最終講義―分裂病私見

最終講義―分裂病私見