回復編
電話をすると、香織は学校を終え家に帰っていた。 「どうしたの」 「今、東京にいるんだけど、これからちょっと行ってもいい?」 「うん、いいよ」 突然の電話にもかかわらず、香織は訳も聞かず承知してくれた。文子の住む街からしばらく車を走らせ、香織の…
秋になり、回復は順調で、ひとりで外出することも増えた。文子と香織に手紙を書いたりもした。文子にはもちろん病気になったことは明かさなかった。ふたりとも返事はくれなかった。 僕の家には、文子の荷物がまだ残っていた。彼女が卒業旅行でヨーロッパへ行…
退院後だいぶたって、H先生からデイケアに出てみてはどうかと話しがあった。「若い女の子もたくさんいますよ」 とりあえず、診察日の午後だけ、僕はデイケアに顔を出すようになった。 現在ではT病院にはデイケア専用の大きな施設があるが、当時は開放病棟の…
母が入院していたときのことだが、ベーシストのN君から久しぶりに連絡があった。調子が大丈夫なら、バンドの練習に復帰しないかという誘いだった。僕とテナーの広川君がフロントのフリー・ジャズ・バンドは休止していたが、クマ君がボーカルのロックバンドは…
2月の退院からふた月ほどがたった頃、母の様子がおかしくなった。はじめは、夕食の献立が思いつかないと気にしだし、やがて不眠がはじまった。4月9日の僕の診察のとき、母もH先生の初診を受けた。軽い睡眠薬などを処方してもらったのだが、母の調子は日に日…
香織は自分と渡辺君の浮気が僕を追い詰めて、発病させたのだと責任を感じ、ずっと悩んでいたのだ。それでも僕を支えるため入院中も面会に来てくれたのだろう。 「わたし、本当はまた渡辺君と会ってるの。・・・ごめんなさい」 僕には、あまりショックはなか…
香織とは電話では度々話したが、なかなか会う約束ができなかった。会っても彼女のアパートに泊めてもらうことはなくなった。 5月になり、僕の31歳の誕生日がやってきた。その日はちょうど土曜日の診察の日で、いつものように短い問診が終わり薬を受け取ると…
退院後は、引き続きH先生の診療で、2週間に1回、T病院の外来に通いはじめた。はじめしばらくは親と同伴で診察を受けた。 「変わりはないですか」 「はい」 「夜は眠れますか」 「薬を飲んでもなかなか寝付けないのですが」 「部屋を暗くして15分もすれば寝ら…
朝6時半起床の病院から解放され、僕は毎日昼近くまで眠るようになった。とにかく眠くて起きられなかった。昼間も何もすることなくごろごろ。夜はなかなか寝付かれず夜更かしをした。そんな生活が長く続いた。病者への温かく真摯なまなざしを持つ精神科医、中…