僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

文子に関する妄想

家族と一緒に過ごしていると、絶え間なく幻聴が聴こえるようになった。幻聴は全て対面している相手の心の声として聴こえ、僕はテレパシーの存在を信じるようになった。今までテレパシーを感知できなかったのは自分が障害者だったからで、普通の人は肉声とテレパシーを併用したコミュニケーションをしていたのだと考えた。そして今、自分はようやくテレパシーの能力が覚醒したのだと思った。自分は子供の時からテレパシーが感知できない障害児で、香織も同じ障害者だったから、僕たちは障害者同士で付き合っていたのだ。ところが僕は一度死んで生まれ変わるという体験をしてテレパシーの能力が覚醒したのに違いない。
のちに統合失調症の当事者の人から、まったく知らない謎の声が聴こえてくる幻聴を体験するという話しを聞いた。僕の場合は、そうしたいわゆる神の声や悪魔の声のような正体不明の幻聴が聴こえなかったため、テレパシーの存在という妄想におちいってしまったのだ。

たとえば食事中にソーセージを食べようとしていると、向い側に座った弟が「それは、ペニスの象徴なんだぜ。最初に食べるなんて恥ずかしいな。そんなこともわからないのか」とテレパシーで言っているのが聴こえた。
家族の側から見れば、テレパシーを聴き取るのに必死な僕の態度は、黙り込んでじっとしている奇異な姿にしか見えなかったのだろう。僕からは、家族の言動がすべて不自然で芝居がかったものに感じられた。

幻視が見えたこともある。朝早く、家の前の通りを歩いていく通勤通学の人々の列を何気なく見ていると、側転をしながらくるくると回転していくサラリーマンの姿が見えた。夜ベッドに入ると、天井裏からこつこつと天井を叩く無数の音が聴こえた。
渡辺君への脅威もまだ消えていなかった。家の前の駐車場で、夜中に僕の噂話をする男たちの声が聴こえてきた。渡辺君に依頼されて僕の近所で嫌がらせをしているのだと思った。僕は家を出て、駐車場にたむろしていた男たちに「いい加減にしてください。もうあんたたちの考えはわかってるんだ」と文句を言いに行った。男たちはきょとんとして、僕のことを見た。男たちが本当にそこにいた人たちなのか、僕の妄想だったのか、はっきりとしない。


ジャズ研の後輩のR子さんは文子の同期で学生時代、僕たちは親しくしていた。彼女は僕と文子が別れるときにも、僕の味方をしてくれ、文子を思い直させようと手紙を書いたりしてくれた。彼女はジャズ研で知り合ったY君と結婚し、僕が発病した頃は仙台に住んでいた。

僕は文子についての妄想にとらわれR子さんに突然電話をした。僕が香織と渡辺君のことが原因で、精神をおかしくしたように、村山君が僕への恐怖から精神を病み、文子が悩んでいると思い込んだのだ。文子は村山君に監視され不安な日々を過ごしているに違いない。R子さんなら文子からなにか相談されて知っているはずだと思い、僕は仙台のR子さんに電話して確かめたのだ。当然R子さんはわけがわからず戸惑っていたが、僕の精神が異常になっていると気づき「文子ちゃんは心配ないから安心して」と言ってくれた。R子さんとは、入院後しばらくしてまた連絡をとることになる。

文子についての妄想や、自分が死ぬと思った晩に枕元に文子の手紙の入った箱を置いたことからもわかるように、僕は心の奥深くではまだ文子を愛していて、文子のことが一番大切だったのだ。その時の僕の表層の意識にはその自覚はなく、文子のことは忘れ、香織への愛情に依存していた。このように、僕の表層の意識と深層に隠された心は大きく乖離していたのだ。


僕は1日の中でも刻々と自分自身への自覚が変化し、ずっと障害者であった自分が障害を自覚し今の状態になったのだと思ったり、正常であった自分が精神を病み始めたのではないだろうかと思ったり、自我が不安定になっていた。