僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

歩き続けた夜①

ライブからしばらくして、僕の様子がおかしいと心配したN君夫婦と香織が家に来てくれた。僕はN君夫婦をNクリニックの精神科医だと思っていたので、二人は何もかも理解しているのだと思っていた。しばらく家で話しをしてから、家を出て近くのファミレスに4人で食事に出かけた。N君のテレパシーが聴こえた。「こんな女と付き合うのはもうやめなよ」「いいんだよ。僕は香織のことを許したんだから」僕はテレパシーで返事をした。障害者である香織にはこのやり取りはわからないのだ。現実には僕は皆から話しかけられても、ひとり黙ってじっと聴いているばかりだったのだが。「そろそろ帰ろうか」とN君が言った。「このブタ女っていってやりなよ」といらだたしげなN君の心の声が聴こえた。僕の心は動揺した。

香織を駅まで見送りにいき、改札を入った彼女に向かって僕は「君はひどすぎるよ」と本当に口に出して叫んだ。驚いた香織は、悲しそうに帰っていった。僕はとりかえしのつかないことをしてしまったという後悔の念におそわれた。

家に帰ってから悩んだ僕は、今晩これから香織のところへいって、彼女に謝ろうと思った。今夜のうちに会いに行かなければ、香織との関係は終わりになってしまうと僕はあせった。僕は何とかして夜中に家を抜け出す方法を考えた。僕の部屋は2階にあるので、夜中に階段を下りたり、玄関を開けたりしたら親に気づかれてとめられるだろう。1階の納戸に閉じこもって、納戸の窓からこっそり抜け出そうと僕は考えた。

睡眠薬をすでに飲まされていた僕は、トイレでのどに指を突っ込んで胃の中の物を吐き出した。ドラムの岡本君の声が「Sちゃんはそんな薬程度でねむりゃしないから安心しな」というのが聴こえた。僕は両親の前でわざと錯乱したふりをして、バタバタと暴れ、部屋に行かず納戸の中に閉じこもった。しばらく納戸の中でじっと様子を見た。あきらめた両親は寝室に戻り、静かになった。


僕は夜中に納戸の小さな窓から外に出て、香織の住む東京に向かって歩き出した。靴ははかず、靴下だけをはいていた。玄関に靴を取りに行って、親を起こしてはいけないと思ったからだ。夜中のひと気のない通りを僕は歩き続けた。僕は空のかばんを提げていた。家を出たときの服装を親が警察に通報するかもしれないと思い、着ていた上着を脱いでカバンの中に詰め込んだ。11月の夜の空気は冷えていたが、歩いていると体がほてり寒さを感じなかった。しばらくすると足が痛くなってきたので、公園で拾った古新聞をちぎって靴下の中に詰めてクッションにした。香織に僕の気持ちをわかってもらうためには、誰の助けも借りず、独力で彼女のアパートまで歩き通さねばならないのだと僕は決意していた。

空を見上げるとバンドのメンバーたちの顔が浮かび上がった。「Sちゃん頑張れよ」「俺たちが応援してるよ」と皆が口々に励ます声が聴こえてきた。