僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

風呂はT温泉

開放病棟の風呂はひとつで、男女一日おきの入浴だった。結構広い風呂で、一度に10人くらいは湯船に浸かることができた。白濁した入浴剤がいつも入っていて、患者たちは「T温泉」と呼んでいた。夕食後しばらくして入浴の時間になるのだが、入浴時間が近づくとみんな洗面器とタオルをもって行列して順番を待った。

並ばないで一番風呂に入る方法を教えてくれたのが、同室の井上さんだった。井上さんは鬱病で、ちょっとクールな二枚目だった。30代前半で僕より少し年上。のちに知ったのだが、T病院は統合失調症患者の比率がかなり高く、鬱病の人は珍しかった。井上さん自身も「他の人は僕とは病気が違うみたいだね」と言っていた。僕自身はまだ自分の病名がわからなかったし、投薬内容の説明も全くなかったので、神経症か何かなのだと思っていた。

井上さんは入浴時間が近づくと、自分の洗面器とタオルを浴室の入り口の前に置いておくのだ。そうして部屋のベッドで時間を待つ。するとみんな置かれた洗面器の後ろに並んで入浴を待っているのだ。井上さんは時間になるとさっと浴室に行って、洗面器を手にゆうゆうと一番風呂に入る。僕も井上さんにならって一緒に洗面器で順番取りをするようになった。

身体を洗い大きな湯船に浸かりしばらくすると、いつもひょろりと背の高い曽我さんが風呂に入ってきた。硬直した表情でまっすぐ前を向き、身体も洗わずに湯船に直進して入ってくる。そうしてしばらく湯に浸かるとじきに風呂から上がっていくのだ。「曽我さんは、いつもああなんだ。嫌だよねえ」と的場さんは言ったが、誰も曽我さんに注意する人はいなかった。開放病棟といっても、曽我さんのようにいつも硬直した表情で、身体の動きもぎこちない人が何人かいて、みんな気遣いをしていたのだ。

僕はそのころ極端に物忘れが激しくなった。身の回りのものもよくあちこちに置き忘れた。記憶が時々ぷっつり切れてしまうような感じだった。井上さんは僕の忘れ物に気がつくと、いつも親切に教えてくれた。

一度入院したら人生の終わりで、いつ出られるかわからないと思っていた精神病院だが、長期入院の人がいる一方で、短期で退院していく人も多いのだとわかってきた。井上さんも、僕が入院してから2週間くらいで退院していくことになった。すっかりよくなって退院していく井上さんがうらやましく思えた。


「井上さんは退院したらどうするんですか?」
「前の仕事はもう続けられないしね。工事現場で日雇いでもやるしかないかもね」


クールな井上さんは、冷ややかに答えた。精神病院というのは退院できれば終わりではないのだ。むしろその後の生活こそが大変なのかもしれない。井上さんの言葉は僕にそんなことを伝えてくれた。

井上さんが退院すると、僕らの病室に新しい入院患者がやってきた。彼のことはまたそのうち書くことにしよう。井上さんに教えられた方法で、それからも僕はT温泉の一番風呂に入り続けた。


洗面器で順番取りをしたりしても誰も文句を言わず、身体を洗わない曽我さんにも注意しない。精神病院の入院患者たちは、心優しく穏やかな人が多いような気がする。閉鎖病棟には、もっと深刻な症状の患者の世界があるのかもしれないが、開放病棟の日常は退屈だが平和なものだった。