僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

週1回の診察

精神病院に入院すると決めたとき、クリニックなどの通院と違い、常時主治医の診察を受けられるものだと思っていた。しかし実際にはH先生は毎週土曜日の診察日と、水曜日の当直の日しか病院に来ない非常勤の医師で、実質的には週1回、わずかな時間しか会うことができなかった。日常の様子は看護婦さんが観察して報告しているのだが、入院により密度の濃い診療が受けられるという期待は裏切られた。入院そのものが、患者を日常生活から切り離し、精神に休息を与えるという効果があるにしても、外来と同じ程度にしか医師と接触できないというのには失望した。

入院してしばらくして、夕方に院長先生から呼び出された。院長は時間をかけて、僕の子供の頃のことや、会社を辞めた時のこと、入院までのいきさつなどを聞いてくれた。


「幻聴はまだあるかね」
「はい、時々」
「幻聴は何で聴こえるんだと思うかい」
「自分が心の中で思っていることが、他人の声のように聴こえるんだと思います」
「じゃあ、実際には自分の考えていることだということだね」


夜、当直の看護婦の遠藤さんが、
「Sさん、院長先生が、Sさんは自分のことがよくわかってるって感心してたわよ。すごいわね」
と教えてくれた。


しかし、そのように冷静に自己分析できるようになった後にも、まだ完全に幻聴は消えず、テレパシーの存在にとらわれることもあった。H先生との面談の時、もう終わりかなと思ったとき「もうそろそろ終わりにしましょうか」とH先生の心の声がはっきりと聴こえた。その直後、H先生の口から全く同じ言葉が発せられ、僕はやはりテレパシーは存在するのだと心が揺らいだ。

H先生は、毎回診察のときに、自分の思ったことをまとめたノートを提出するよう求めたが、僕は12月8日付のノートにこんなことを書いている。

H先生
目を見つめ合って
話しをします。
ラングとパロールについて
先生の解釈を聞かせてください。


ラングとパロールというのは、言語学ソシュールが言語の性質を分析した用語だが、話し言葉などを示すパロールが自分たちの普通に話す言語の体系であり、言語の記号的な体系を示すラングに、テレパシーも含めたより上位の言語体系が存在するという勝手な解釈に、僕はとらわれていたのだ。


僕は入院から10日近く過ぎてようやく、同伴者と一緒という条件付で外出が許可された。鉄格子のはまった病棟の建物からはじめて外に散歩に出たときに感じた開放感は、今でも忘れられない。前日の雨でぬれた木々の葉が日差しを受けて輝き、世の中全てが再生したかのような美しさを感じた。

真木悠介の「交響するコミューン」という文章の中に、太平洋戦争の敗戦後東南アジアで処刑されたB・C級戦犯の手記に触れたこんな一節がある。

現地の収容所からつれ出されて裁判をうける建物にゆき、そこで死刑の判決をうけてまた収容所にもどる。そのもどり道で、光る小川や木の花や茂みのうちに、かつて知ることのなかった鮮烈な美を発見する。彼らはそこに来るときもこの道をとおってきたし、すでに幾週かをこの島で戦ってきたはずなのに、彼らの目はかつてこのような、小川にも木の花にも茂みにも出会うことがなかった。これらの風景や瞬間は、今はじめて突然のように彼らをおそい、彼らを幻惑し魅了する。


ただの街角の木々のきらめきに、驚くような美しさを発見して、この文章を思い起こした。僕は別に死に直面したわけではなかったけれど、閉鎖空間で長期間暮らしてきたことと、そのときの過敏な精神の状態がもたらした感動だったのだろう。それからは退屈を紛らすために、病院の近くを散歩することが日課になったが、そんな美しさを感じたのはそのとき限りの経験だった。

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)