僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

香織と過ごしたクリスマス

開放病棟では、まず他の患者など同伴者と一緒の外出が許可され、続いて単独での外出、自宅への外泊の段階で、病棟の外に出ることが許される。クリスマスが近づき、僕はH先生に、外泊の許可を求めたが、それにはまだ時期が早かった。結局、親が送り迎えするならば、昼間1日の外出は許可しましょうということになった。


早速、香織に電話をして、12月24日に家に来てもらう約束をした。午前中親が病院に車で迎えに来た。病棟から外に出るには、ナースステーションを通り抜けなければならないようになっている。昼の薬を受け取り、外出者の台帳に名前と外出時間・帰院予定時間を記入して、久しぶりの我が家へ向かった。


自分の部屋を見てみると、やけに狭くよそよそしく感じられた。しばらくして、香織が駅に着いたと電話してきて、僕は急いで駅への道を歩いていった。向こうから白いカスミ草の花束を手にした香織がやってきた。僕はうれしくてたまらず、彼女に抱きついた。そして香織と一緒に家に引き返した。


昼食は寿司の出前をとってもらった。病院の食事では生ものが一切食べられないので、寿司はそのとき本当にご馳走だった。「少しくらいいいだろう」と父が注いでくれたビールは、苦いばかりでおいしく感じられなかった。しばらく飲んでいなかったためと、薬のせいで味覚が少しおかしくなっていたのかもしれない。香織はクリスマスプレゼントに、タータンチェックのマフラーをくれた。そのあと入院中、散歩するときにはいつもそのマフラーを巻いて外に出た。コーヒーを飲んでショートケーキを食べて、午後のひと時をリラックスして過ごした。楽しかった時間もたちまち過ぎて、夕方、病院に帰る時間が迫ってきた。帰りは香織も車に乗って、病院まで送ってくれた。最寄の駅まで香織を送るよう親に頼んで、僕は病室に戻った。


香織のくれたカスミ草の花束を僕は持ち帰った。看護婦の磯山さんが、「それ、ドライフラワーにしたらいいんじゃない」と教えてくれた。僕はベッドの上の天井についていた小さなフックに、花束を引っ掛けた。ベッドに寝そべると、白い小さなカスミ草がきれいだった。


いつも同じような味のする病院の夕食を食べ、特別なことのないクリスマス・イブの夜が過ぎていった。翌日、H先生に提出するノートに、外出許可への感謝を僕は書いている。ところが、今見ると不思議なことに僕は香織のことを書かず、文子のことを書いているのだ。自分でも何故、そのように書いたのかわからない。

昨日は外出を許可していただきありがとうございました。

学生時代に知り合った彼女(以下A)とは
Aの下宿でひんぱんに泊っていました。
セックスはお互に始めてでした。
就職後も会社が終わるとしばしば
小田原から東京のAのところに泊りました。

※誤字脱字は原文のママ