僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

的場さんの閉鎖病棟落ち

忘年会だったか新年会だったか忘れたのだが、病棟で病室ごとに余興を行うという宴会が行われた。僕たちの病室では、僕がサックスを吹けるということで、リーダー格の的場さんが演歌を歌い、サックスとコーラスで「内山田洋とクールファイブ」風の出し物をやろうということになった。「サックスが出てきたらうけるよ」と的場さんは上機嫌だった。僕はサックスを家からもってきてもらうように、親に連絡した。


ところが、宴会も近づいたある日の午後、病室で的場さんが困った顔で話し始めた。「実は俺、閉鎖病棟落ちになっちゃったんだよ。最近俺ちょっと変だったでしょ。躁気味だって先生に言われたんだ」たしかに、ここのところ的場さんはやけに明るくはしゃいでいるのが目立った。開放病棟にいても病状が不安定になってくると、医師の判断で閉鎖病棟に移されることがあるのだ。的場さんが演歌を歌うのに乗り気だったのも、躁の症状のせいもあったようだ。「S君にサックスで伴奏してもらいたかったんだけど、残念だよ」的場さんは荷物をまとめると、閉鎖病棟へ移っていった。結局、僕たちの病室では「松の木小唄」をみんなで歌って済ませようという案に落ち着いた。


宴会当日。宴会といってももちろん酒はない。ジュース・お茶とお菓子で、病室ごとの余興を見ながら過ごす。歌を歌うグループが多く、女性の病室はコーラス風に唱歌を歌ったりした。手品をやった病室もあっただろうか。

印象に残ったのは、アコースティック・ギターの伴奏をバックに、自作の詩を朗読した中年男性の患者だった。たどたどしいながらも、手作りの暖かさと熱意の伝わるステージだった。みんな盛んな拍手を送った。的場さんとサックスで共演できたら愉快だったのになあと残念だった。


僕たちの病室の番になり、ステージに並んで「松の木小唄」を淡々と歌った。



数週後、的場さんは無事に僕たちの病室に戻ってきた。「ラーメン食べに行かない?わりと旨い店があるんだ」的場さんに誘われ、午後数人で外出し近くの住宅地のなかにある商店街に向かった。一軒のラーメン屋に入り、みんなでラーメンを食べた。懐かしい味の醤油ラーメンだった。「ビール少し飲んじゃおうか」と的場さんが頼んだビールを少しづつグラスに分けて飲む。何年も病院にいると、周辺の店の情報にも詳しくなるわけだ。中学生が買い食いするような、少し悪いことをしているような解放感を感じて病院に戻った。やはり的場さんは僕たちのリーダーだった。