僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

はじめての外泊

開放病棟の入院患者は、正月になるとほとんど実家に帰り外泊する。長期入院している離島の出身の斉木さんも、親族が迎えに来ていた。僕もクリスマスの外出に問題がなかったということで、正月には家に帰って外泊する許可が出た。大晦日の午後、親が迎えにきて、3日の午後病院に帰るまで自宅でのんびり過ごした。紅白を見て、12時に近所の神社に初詣。小さな境内ではドラム缶に火がくべられ、甘酒が振舞われていた。


6時半起床の病院から開放され、朝はゆっくり眠った。友人や知人からの年賀状が届いていた。最近数年、香織やバンドのメンバー以外とはつき合いが絶えていて、僕の発病・入院のことは誰も知らなかった。毎年、自作のイラストの年賀状を出していたのだが、その年は仕方なくコンビニで犬のイラストの年賀状を買ってきて返事を書いた。宛名を書くのも、ペンを持った手が震え容易ではなかった。来年はちゃんと年賀状を出せるだろうかと不安になった。正月は香織も熱海の実家に帰っていて、会うことは出来なかった。


2日の午後、高校の時からの友人の多岐川君から電話があり、これから会わないかと誘われた。一人で外出するのは不安だったので、家にきてもらうことにした。多岐川君夫婦がやってきて、リビングダイニングの食卓を囲んで、軽くビールなど飲み話しをした。その頃には、ろれつがまわらなくなる症状もおさまっていたので、自然に応対することが出来たが、多岐川君が病気に気づかないだろうかとそわそわした。


「よかったらこれからうちに遊びに来ない?」と誘われたのだが「友達から電話が入る予定なんで、家で待ってないといけないから」と断った。まだ携帯電話など普及していない時代だった。多岐川君夫婦が帰ると、緊張が解けほっとした。まだまだ僕は病気からの回復の途上だったのだ。


正月の外泊が終わり、病院に帰る前に、自宅での様子を報告書に記さなければならなかった。服薬は守れたか・幻聴や妄想はなかったか・夜は眠れたか・家族とコミュニケーションはとれたかなど、いくつもの項目があった。自宅に帰った機会に僕は、気に入っているCDを選び、ポータブルCDプレーヤーと一緒に病院に持っていった。ボサノバや静かなジャズなど心が休まるものを中心に選んだ。


1月8日の診察のとき、正月の外泊の結果が認められて、病院からの単独での外出(買い物など)と、随時自宅に外泊することが許可された。それからは次第に外泊の頻度を増やしていき、病院からの退院を目指していく。入院した時には、一生出られないかもしれないと覚悟した精神病院への入院だったが、退院への希望が持てるようになってきた。