僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

柴さんの闘病日記

開放病棟では、患者のリハビリのためという名目で、トイレ・風呂・冷蔵庫などを当番制で掃除させられた。いつでもお湯が使える給湯器の水の補給も当番の仕事だった。このお湯でほとんどの患者は1日に何杯もコーヒーを飲む。インスタントコーヒーは、煙草と並んで、患者の必需品ともいえた。昼間の眠気を覚ますため、僕もいつもコーヒーを飲んだ。


ある朝のこと、目を覚ますと僕の病室で最年長の50代の柴さんが、「S君、ごめんね。ごめんね」と繰り返し謝った。なんだろうかと訳を聞くと、昨夜消灯後に柴さんがコーヒーを飲もうとして、クリープがないのに気づき、眠っていた僕のベッドサイドにあったクリープを黙って拝借したのだという。申し訳なさそうに柴さんは何度も謝った。「そんなこと気にしないでいいですよ。なくなったときは遠慮しないで使ってください」と柴さんに言った。


白髪交じりの柴さんは実際以上に老けて見え、長い入院生活のため少しぼけ気味だった。そんな柴さんは、毎晩ノートに日記を書いていた。「闘病日記」と表紙に書かれたノートはもう何冊にもなり、柴さんの大切な日課だった。ある日、辞書を片手にわからない字を柴さんが調べていた。英和辞典を使っている。「柴さんは英和辞典しか持ってないんだよ。わからない字があると、英語で考えて、その訳語の漢字を辞書で調べてるんだ」的場さんが説明してくれた。柴さんは発病前は、英文科の優秀な学生だったそうだ。英和辞典で字を調べる苦労までして書かれた柴さんの「闘病日記」の言葉は、いつ誰に届くのだろうか。


僕たちの病室にやってきた新しいメンバーは何人かいたが、僕より少し年下の佐藤くんは、ひょろりと背の高い、病弱そうな青年だった。病歴は長く、しばしば調子を崩して、短期入院をして静養するのだという。的場さんたちとも周知の仲で、「佐藤くんまた来たね」と言われていた。彼とは音楽の趣味が合って、坂本龍一矢野顕子のCDを貸し借りした。佐藤くんはJAPANのデヴィッド・シルヴィアンも好きだそうで、「こんな暗いの聴いてるからますます具合が悪くなるんですよね」と言っていた。10日もすると、佐藤くんは調子が落ち着いたらしく、退院していった。精神病院の入院患者にもいろいろなタイプがあるのだ。

禁じられた色彩

禁じられた色彩