僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

外出の自由

病棟では、手工芸・書道・絵画などの時間があり、暇なときには参加した。作業療法士や外部からのボランティアの講師などが指導してくれた。
単独外出の自由が許可されてからは、昼食の後、よくひとりで外出するようになった。ナースステーションに置かれたノートに行き先と外出時間、帰院予定時間を記入し、ドアの鍵を開けてもらい外に出る。近くに散歩に出るほか、バスに乗って最寄の駅前に出かけたりした。私鉄沿線の小さな駅だったが、午後の駅前は買い物客の女性や学生でにぎわっていた。ドトールに入り、コーヒーを飲むのが楽しみだった。ある日岸田秀の文庫本を買ってドトールに入った。まだ活字に充分集中することはできなかった。それでも、そうして他の客に混じって過ごしていると、病院では感じられない解放感があった。コンビニであったかい肉まんを買って食べるだけのことも楽しい。


駅前のバス停で帰りのバスを待っていて、同じように外出している病院の患者に会うこともあった。あるときは、病院で見かけたことのある閉鎖病棟の若い女の子2人が声をかけてきた。閉鎖病棟に入院していても、単独でなければ外出許可が出るのだ。「ナントカさん、タクシーで一緒に帰りませんか?」と誘われタクシーで病院に帰った。3人ならバス代より安いのだ。彼女たちはよくタクシーを利用していて慣れた様子だった。


電車に乗って近くの美術館に出かけたこともある。平日の午後の美術館は、他にはほとんど入館者がなく、広い空間でのびのびした気分になった。精神病院に入院中の自分が、こうしてひとりで自由に過ごしているのは、なんだか不思議な感覚でもあった。


1月15日の祝日には、外泊許可を取って、横浜まで出かけた。香織が行きたがっていた横浜美術館の「ジョージア・オキーフ展」を鑑賞した。入院後繁華街に出かけるのは初めてだったので、心配した両親も同行した。久しぶりに中華街で食事もして、楽しく1日を過ごした。東京に帰る香織と別れ、両親と自宅に戻った。早く退院して、自由に外出を楽しめるようになりたいと願った。しかし退院の判断はまだ下されなかった。病気の症状も治まり、残る入院生活は退屈との戦いだった。

オキーフ NBS-J (ニューベーシック・シリーズ)

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