僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

念願の退院

文恵さんは、僕より少し年上で、背が低く髪が短く、文子に少し雰囲気が似ていた。大部屋ではなく2人用の個室に入院していて、あまり部屋からは出てこなかった。僕は昼間部屋に行き、よく話をするようになった。若いときからの入院生活のためか、浮世ばなれしたところのある、少女のような、おとなしい人だった。

「私、漫画家になるのが子どものときからの夢なのよ」という彼女は、漫画家入門のような通信講座を病院に取り寄せていて、課題の絵をよく熱心に描いていた。統合失調症は知能の低下をまねくわけではないのだが、子どもっぽくなったり、社会性を失ってしまう患者は多い。


僕には、ようやく退院の日がやってきた。平成6年2月26日。前年の11月17日に入院してからおよそ3ヶ月の入院生活だった。一度入ったら出てこられないような閉鎖的なイメージのある精神病院だが、現実には多くの患者は短期間で退院している。


僕が入院し、現在も通院するT病院の2004年7月1日から2005年6月30日までのデータによれば、退院までの期間は1ヶ月以内が21%、3ヶ月以内が52%。87%の人が1年以内に退院している。その一方で社会的入院と称される長期入院者や、再発して入院を繰り返す患者が多いのも事実だ。入院患者のうち5年以上の入院が32%、過去に精神科での入院歴がある人の入院者に占める割合は75%にもなる。ちなみにT病院は精神科の単科病院の一般的な傾向どおり統合失調症の入院患者が91%を占める。大きな総合病院や公立病院では他の疾患の割合が増えるそうだ。


退院が決まると、僕は文恵さんに実家の住所を教えてもらった。正月には彼女も実家に帰るので、毎年年賀状ぐらい出してあげようと思ったのだ。翌年から文恵さんと年賀状をやり取りしはじめ、今もそれは続いている。彼女の年賀状には、いつも得意のイラストが添えられている。今は退院して、家で過ごしているそうだ。


長いようで短かった入院生活。急性期の症状が治まってからは、早く退院したいと焦る日々だったが、今振り返れば精神の休養のためには妥当な期間だったと思う。

食事だけが唯一の愉しみで、食事どきになると配膳所の前に長い行列を作る患者たちの姿や、長い夜、不眠のため病棟の薄暗い廊下のベンチでひそひそしゃべったり、所在なげに過ごす患者たちの姿が思い出される。


僕は閉鎖病棟に入院しなかったので、保護室なども目にしていない。精神病院に入院したといっても、僕が体験したのはそのごく一面に過ぎない。それでも様々な事情で精神病院に行き着いた多くの人々に出会った。よく、インドを旅すると、人が普通一生のうちに出会うあらゆることを1日で体験するというけれど、わずか3ヶ月の入院を通して、僕は多くの人たちの人生の縮図を見せられたような思いがする。


身の回りのものを車に積んで、T病院を後にした。家に帰ってから、クリスマスに香織から贈られドライフラワーにしていたカスミ草を、病室に忘れてきたことに気がついた。翌日急いで、「忘れ物をしました」と病棟に入れてもらった。しかしカスミ草はすでに片付けられてしまったらしく、どこにも見当たらなかった。それは香織と僕のその後を暗示するような出来事だった。「もう、こんなところに帰ってくるなよ」と的場さんに声をかけられお別れをした。


普通の病気ならば、退院は病からの解放を意味する。しかし精神病は、退院してからが長い病とのつき合いの始まりなのだ。そのときの僕はそのことをまだ理解してはいなかった。僕は解放感と安堵感だけに包まれていた。