香織との別れ①
香織とは電話では度々話したが、なかなか会う約束ができなかった。会っても彼女のアパートに泊めてもらうことはなくなった。
5月になり、僕の31歳の誕生日がやってきた。その日はちょうど土曜日の診察の日で、いつものように短い問診が終わり薬を受け取ると、僕は香織と待ち合わせた新宿にまっすぐ向かった。JAZZが流れる喫茶店で待っていると、いつもよりお洒落なプリント柄のシャツを着た香織がやってきた。
「今日は、わたしがパエリヤ作るからね」
ふたりでデパートの食品売り場で材料を品定め。ムール貝・チョリソー・鶏肉・殻付エビ・パプリカなどを買い、高野でシャブリ(白ワイン)とデザートのマンゴーなどを手に入れる。サングリア*1用に赤ワインとオレンジ・林檎も買う。大きな買い物袋を提げて、香織のアパートに久しぶりに向かった。
部屋は今日のためにか、きれいに片付けられ、午後の光が差し込んでいた。窓を開けると春の風が心地よい。僕はいつも使っているサングリア用のガラス器に赤ワインを注ぎ、オレンジと林檎のスライスを漬け込んだ。香織はパエリヤ作り。具材をオリーブオイルで炒め、生米を加え、サフラン水を入れて色鮮やかに。オーブンに入れて炊きはじめた。
まずはビールで乾杯。氷で冷やした白ワインを開け飲んでいるうちに、パエリヤが出来上がった。満艦飾のパエリヤは、ムール貝の黒、パプリカの赤が鮮やかだ。料理好きの香織だけにとてもおいしい。
「うまいなあ」
「今日はSさんの誕生日だからね」
食後のデザートも食べごろごろした後、お風呂に入る。ユニットバスにしては大きな浴槽なのでいつもはふたりで一緒に入るのだが、この日はひとりづつ入った。「今日、わたし生理なんだ」
布団を敷いて、風呂上りのビールをふたりで飲んで横になる。
「今日は泊まっていっていいよ。特別な日だからね」
しばらく、ボサノバのCDなど聴いているとき、香織が天井を見ながら静かに言った。
「わたし苦しいんだ。・・・Sさんと一緒にいると胸が苦しくなるんだ」
*1:果実を漬け込んだスペイン風のワイン