僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

気楽な精神科医

退院後は、引き続きH先生の診療で、2週間に1回、T病院の外来に通いはじめた。はじめしばらくは親と同伴で診察を受けた。


「変わりはないですか」
「はい」
「夜は眠れますか」
「薬を飲んでもなかなか寝付けないのですが」
「部屋を暗くして15分もすれば寝られるはずです」
「そうですか」
「じゃあ同じ薬出しておきますから」


いつもこの調子の3分にも満たない診療。その上、H先生はしばしば9時の診察開始時間に30分以上遅刻してきた。こちらは、受付順の診察なので順番取りのため8時には病院に来ているというのに。たまりかねた親が院長に苦情を言ったこともあるが、「若い人は研究なんかで忙しいですからね」と答えるばかり。H先生はいつも黒いオープンカーの外車で来院していた。東大医学部を出て、週1回の非常勤勤務の3分間診療で稼ぎ、研究者を目指してお勉強。精神科医とはいいご身分だなと思った。退院後何年間かH先生の診療を受けたが、終始事務的で、親しみを感じたことは一度もない。それでも、精神科医なんて現実にはみんなこんなものなのだなとあきらめていた。退院後の回復は順調で、腕は悪くない医師なのだろうなと当時は思った。しかし僕自身の自然治癒力が優れていただけなのかもしれない。退院後も病名の告知はなかった。生命保険申請用の診断書には「神経衰弱」と記されていた。


香織とはなかなか会う約束ができなかった。昼は派遣社員・夜は建築デザインの専門学校で学ぶ彼女は忙しかった。花見の時期のある平日の夕方、学校が休講なのでデートすることになった。隅田川に出かけた。あいにくの雨だったが、寿司を買い川下りの遊覧船に乗り、桜を見物した。暗くなる中、雨に煙り、桜はあまりよく見えなかった。「この前の天気のいい日に来ればよかったね。会ってあげられなくてごめんなさい」と香織は何度も繰り返し謝った。それでも、退院してふたりで会うことができて、僕は満足だった。夜になり香織のアパートに行きたいというと、彼女はかたくなに断った。「ちょっと散らかってるから。ごめんね」


刺激の多かった入院中に比べ、退院後の平凡な日々の記憶は不鮮明だ。急性期の疲弊と、薬物の抑制効果で、神経が休眠していたためなのだろう。その頃のことは、薄い膜がかかっている向こうの出来事のようにあいまいで、はっきりとした輪郭を結ばない。