僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

夜露死苦現代詩 都築響一

夜露死苦現代詩

夜露死苦現代詩

夜の国道を走る。ヘッドライトに照らされた歩道橋に、スプレーで殴り書きされた「夜露死苦」の文字が一瞬浮かび上がり、頭上に消えていく。
なんてシャープな四文字言葉なんだろう。過去数十年の日本現代詩の中で、「夜露死苦」を超えるリアルなフレーズを、ひとりでも書けた詩人がいただろうか。(夜露死苦現代詩 はじめに)

文芸雑誌「新潮」に連載されている都築響一の新しい仕事をまとめた一冊、「夜露死苦現代詩」はまさに言葉のアウトサイダーたちのフィールドワーク。
誰も取り上げなかった日本の地方都市の奇妙な風物(秘宝館・宗教テーマパーク・鉱山テーマパークなど)を、写真で切り取った名著「珍日本紀行ーロードサイド・ジャパン」の感覚で、現代のほんとにリアルな「言葉」を都築は取材し続ける。


知的障害者の言葉遊び・痴呆老人の妄語・死刑囚の俳句・相田みつをエミネムのラップ・暴走族の特攻服の刺繍・見世物小屋の口上・エロ迷惑メールなどが、縦横無尽に、一切のヒエラルキーから自由な語り口で取り上げられる。こんな言葉があったのかという驚きと、それを扱う都築のしなやかな感性が魅力の爽快で奥深い一冊だ。


その中に統合失調症者の書いた詩も登場する。昭和25年生まれの友原康博氏は中学生の頃統合失調症を発症し、中学から卒業までの一時期、集中的に詩を書き続けた。それらは統合失調症による思考障害が原因の支離滅裂な言葉の羅列による、「言葉のサラダ」と呼ばれる症例だ。短く分節された分かち書きで、詩は書きとめられている。

赤科 


赤は
おれに
とって
恋人であり
又変人に
してしまうか

全っくの
忍を
いかす
唯一の
ジャングル
なり
けり
人間の
世界は
こう
なって
いくのだ

友原氏の詩は1995年に「いざつむえ」という詩集として出版され、都築氏はこの本に出会って彼を取材した。「いざつむえ」とは「さあ、行こう」というような意味だそう。友原氏自身は、「あんなの(いざつむえ)は、くだらん詩です」と投薬による治療で回復した現在は語っているという。都築氏は、統合失調症の治療のプロセスで、自分の病気が書かせたものを自覚できるようになることは大切だとしながらも、治療による回復が「天与の才能を失わせることになったのも、残念といえば残念だ。」と述べている。


これは、精神障害が引き起こす病的な表現を、当事者でない者が特別視し美化してしまう危険をはらんだ発言ではないだろうか。精神障害と芸術的価値の関係を、当事者不在で作品のみを取り上げアウトサイダーアートという文脈で語ることは、望ましいものではないと思う。それらの表現には当事者が自分自身の生の喜びを発露している場合もあれば、病気の苦しさからいやおうなく生み出している場合もある。


僕自身は、当事者が病識を持ち、自身の病気から回復することは第一に求められるべきことであると思う。しかし、社会復帰し、社会の経済的な活動に参加できるようになることだけが、病気からの回復だとは思わない。たとえば、食事を楽しんだり、家族や友人と触れ合ったり、絵を描いたり、ブログで自己表現したり、生活を楽しむことができるのであれば、それは当事者にとって幸福な状態だと思う。


仕事ができなくても、少しくらい調子の悪いときがあっても、日々の生活を楽しむ気持ちがもてれば、精神障害者にとってはそれは「回復」といっていいと思う。僕自身、病気はいつか完治できるもの、発病前の生活にまた復帰できるものと考え、それを願っていた時期も長かった。今のような心境になった経緯は、いずれ回復編で書いていこうと思っている。


夜露死苦現代詩の中で都築響一は、電気ショック療法についても触れているが、その記述にはこの治療法に対する誤解があるようだ。稿を改めて触れてみたい。

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