僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

母の発病

2月の退院からふた月ほどがたった頃、母の様子がおかしくなった。はじめは、夕食の献立が思いつかないと気にしだし、やがて不眠がはじまった。4月9日の僕の診察のとき、母もH先生の初診を受けた。軽い睡眠薬などを処方してもらったのだが、母の調子は日に日に悪くなり、うつ症状に陥った。


「ほんの少し、入院して休めば具合がよくなるでしょう」とH先生に勧められ、4月30日に母はT病院に入院した。僕を知っている患者に会いたくないということで、女子の閉鎖病棟の個室に入ることになった。しかし、母は体質的に強い抗うつ剤を受けつけず、効果的な薬物療法が進まなかった。入院後、症状はさらに悪化し、トイレや風呂にも介助がないと行けない状態となり、面会に行っても、虚ろな表情をしていた。


僕はあいかわらず昼夜逆転の生活、弟は仕事で帰りが遅く、定年後も働いていた父が、全ての家事を負担した。母の入院のことは、香織には話せなかった。彼女の心にこれ以上の負担をかけることを避けたかったからだ。母の入院後、ひと月ほどして僕の誕生日がやってきて、それが香織との別れになった。僕には、香織に執着する心の余裕はなかった。


H先生が1〜2週間と見込んでいた母の入院は延々と長引き、結局退院できたのは、その年の8月31日のこと。十分回復しての退院ではなく、退院後もしばらく母は家事はできなかった。僕はその夏、調子も回復し、少しづつ司法書士試験の勉強を再開した。しかし、病気のためか、薬の副作用のためか、僕の記憶力は大きく低下していた。テキストを何回読んでも、六法全書を何度引いても、記憶が定着しなかった。それでも、そのうち何とかもっと能力が回復するだろうと、僕はまだ楽観的だった。もともと料理が好きだったので、夕食の支度は進んで手伝うようになった。生活リズムの乱れと不眠を除けば、幻聴や妄想、陰性症状もなく生活に支障はなかった。


母の発病は予想外の出来事だったが、幸い再発を引き起こすほどのストレスにはならなかった。僕の入院のショックで母は強いダメージを受け耐え続けていたが、退院が心の緊張を緩めたことが発病のきっかけになってしまったのだろう。


僕は急性期の頃に、「母が若い時、精神病だった」という妄想を抱いたことがある。皮肉にもその妄想は、時を越えて現実となってしまったのだ。