僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

香織との面会

T病院は外来診療も行っているが、診療のない平日・土曜の午後と日曜日には、入院患者も自由に外来の待合室ホールに行くことができる。患者たちは気分転換に椅子に座って話しをしたり、煙草を吸ったり、自販機でジュースを買って飲んだりしていた。

面会もその待合室で行われた。入院して6日目の11月21日の日曜日、両親が香織を連れて面会に来てくれた。そのときのことを書いたメモがある。

香織、両親、3人で面会に来てくれた
少ししゃべり過ぎたけど、母の様子もおだやか 婦長さんと話していた
香織はまだ口数が少ない どんな病院生活なのと聞かれ
朝6時30起床とかバインダーの作業(院内作業のこと)について話す
3人が帰ったあとやはり緊張のためすぐ寝こむ
食事の時間でおこされたけどはじめはふらふら
でも辛い料理でうまかった

僕は誰よりも香織に会いたかった。彼女も土日なら来れるということで、主治医のH先生に、香織との面会の許可を求めた。しかし家族・親族以外との面会は許可できないとあっさり断られ、家族の同伴があるときだけ、香織に会ってもよいと言われた。

N君も電話をかけてきた。「病院に面会したいって頼んだんだけど、家族でなきゃダメだって言われてさ。元気にしてる?またバンド一緒にやれるよね」
香織とは電話で何度も話をした。香織はいつも「Sさん、早くよくなってね。わたし何年でも待ってるから」といってくれた。


僕が入院した当時は精神保健法によって、入院中の電話や手紙のやり取り、面会の自由が保障されていたが、かつては「通信の制限」というのが存在したそうだ。

日本の精神障害に関する法律は、戦後長らく拘禁法色の強い精神衛生法だった。この法律が大きく見直されるきっかけになったのが1984年に起こった「宇都宮病院事件」*1。食事に不満を訴えた入院患者が、准看護士・看護助手らに鉄パイプでめった打ちにされるリンチにより死亡した。病院は「てんかん発作による心臓死」とごまかしたが、事実がマスコミにもれ告発された。この事件により日本の精神病院の実態は、国連など国外からも強い批判を受け、政府は精神障害に関する立法の見直しを急いだ。その結果、1987年には精神衛生法を改正した精神保健法を制定した。患者が自由意志で入退院できる「任意入院制度」や「通信の制限の禁止」などはこのとき定められたそうだ。その流れが現在の精神保健福祉法につながっている。


両親は弟や伯母などを連れて何度も面会に来てくれた。香織も休日には何度か一緒に会いに来た。僕にとっては彼女と会えることが、先の見えない入院生活の中で強い心の支えになった。精神を患った僕から、彼女が離れていってしまうという不安からも解放された。彼女がいなければ、僕の回復にはもっと時間がかかっていたかもしれない。
長期入院している患者は面会や電話をすることも少なかった。50人以上の開放病棟に1台の公衆電話で済むことからも、それはわかる。


同室の的場さんは「S君は面会が多いね。恵まれてるよ」と言った。しかし、開放病棟で一番多く電話の呼び出しがあるのは同室の40代の黒川さんだった。黒川さんは長い営業マン生活の最中に発病し、5年以上の入院。髭をたくわえ、色つきメガネをかけ、いつも白いワイシャツとよれよれのスーツを着ていた。
毎晩のように黒川さんにかかかってくる電話は誰からなんだろうと思っていると、「あれは女子の閉鎖病棟からかかってくるんだ。黒川さんの恋人だよ」と的場さんが教えてくれた。同じ病院内とはいえ、病棟間は自由に行き来ができない。相手の女性が開放病棟にいたときに黒川さんは知り合ったらしいのだが、彼女の病状が悪化し閉鎖病棟に移り、離れ離れになったそうだ。黒川さんと彼女は昼間は待合室などで会い、夜になると毎晩電話で話しているのだった。


入院中やデイケアで知り合い、つき合うようになるカップルもいる。しかし、精神障害者同士の結婚はなかなか困難だ。いつどちらが再発するかも知れず、共倒れになる危険もある。統合失調症患者の婚姻率は15%程度だそうだが、離婚率はかなり高いらしい。

精神障害者、特に統合失調症患者の結婚は難しいのが現実だ。

*1:宇都宮病院事件については「心病める人たち」石川信義岩波新書)を参照しました。精神医療における「開放性」を論じた好著です。

心病める人たち―開かれた精神医療へ (岩波新書)

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