僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

幻聴の渦巻くライブ

東京でバンドのライブのある日、午前中に僕は両親に付き添われ、近くの町の精神科のクリニックを受診した。不眠が続き、言動にも奇異なところがあらわれはじめたのを見て親が早めの対応をしたのだ。身内に精神障害者がいなかったなら、こんなに早い精神科の受診は出来なかっただろう。僕自身にも間違ったものだったがすでに病識があったので、受診に同意した。僕は、会社を退職する判断をしたこと自体が、その当時ノイローゼになっていたせいだったのだと思ったのだ。クリニックは大変な混雑だった。初めて見た精神科の患者たちは、皆普通の人に見えた。長時間待たされた後診察があった。まず両親ふたりが話しをし、僕がひとりで問診を受けた。家族構成などを質問されたが、親や弟の年齢がわからなくなり、ぎこちなくあいまいな返事をした。重苦しい空気がのしかかってくる感じがした。短い時間で診察は終わり、少量の睡眠薬が処方されてその日は家に帰った。


その精神科はNクリニックという名前で、偶然バンドのベースのN君と同じだった。そのことが僕に関係妄想を抱かせることになった。N君夫婦は実はNクリニックの親族で、ふたりとも実は精神科医だったのだ。ふたりはバンド活動を通して僕の病気を治癒させるために、小田原時代から僕を見守ってくれていたのだ。その後僕の頭の中には次々と妄想があふれ出した。今日のライブは、僕が自分の病気に気づき自覚できたことを祝福するものなのだ。会場には、今まで僕を見守っていた人々が、僕に内緒で集まる予定になっているに違いない。資格試験受験の相談をした司法書士のI先生や、会社の上司、小学校の時の恩師H先生も来るかもしれない。

仕事が終わってからライブに来る約束をしていた香織の勤務先に何度も電話をした。待ち合わせの場所などを決めようとするのだが、考えがまとまらない。また電話するといっては電話を切り、考えをまとめようとするのだがそわそわ落ち着かなくて思考に集中できない。何回目かの電話で結局会場で落ち合うことにした。

両親は「今日は止めておいたほうがいいんじゃないか」といったが「今日は重要なライブだから休めない」と僕は出かけることにし、心配した両親もふたりでライブを見にくることになった。ライブハウスにサックスを置きに行き、バンドのメンバーに声をかけて、僕は両親と近くの古ぼけたラーメン屋に入った。懐かしい味の醤油ラーメンだった。ライブハウスにもどると香織が来ていた。「この前の夜はバタバタしてごめんなさいね」と母が言った。香織に会うのは叔母が死んだ夜以来だった。


会場には、いつも来てくれる友人たちの顔がそろっていたが、当然普段のライブと何の変わりもない様子だった。演奏が始まった。僕は一曲クラリネットで静かな演奏をしただけでステージを下りた。ステージ上で演奏を続ける他のメンバーが涙を流しているように見えた。バンドの演奏はいつもより凄く激しいものに聴こえ、メンバーたちの叫ぶような声が聞こえた。激しい幻聴だった。「香織なんかとつきあうのはやめろよ」「香織みたいな女にSちゃんはもったいないよ」「香織なんか帰っちまえ」みんなが香織を激しくののしる声が僕の頭の中で響き続けた。みんなのテレパシーが届いているのだと僕は感じた。「みんなそんなふうに言うのはやめてくれ。僕は香織のことを許したんだから」ライブ会場の客席の周囲を歩き回りながら、僕の幻聴は激しさを増した。演奏の轟音とみんなの叫び声の幻聴が入り混じり、今にも叫び出しそうになった頃演奏は終わった。