僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

ハルシオンによる健忘

入院2日目、6時30分に起こされてラジオ体操。朝食・服薬が済み1日がはじまった。午前中は院内で作業療法の軽作業があり、みんなお小遣い稼ぎのため参加するのだが、入院したての僕はベッドの上でごろごろしていた。

昼食・服薬のあとの暇な午後、同室の人たちと話をする。斉木さんがふとこんなことを言った。

「この部屋で童貞は俺と相沢君の2人だけだな。S君はスケベだねえ。ゆうべクリスタルなんとかっていってたじゃん」

クリスタルというのは、僕が文子との仲がギクシャクしていた頃、よく通った風俗店の名前だった。僕は驚いた。なぜ斉木さんがそんなことを知っているのだろう。

「彼女もいるんだろ。うらやましいよな」
「なんで斉木さん、そんなこと知ってるんですか」
「だって自分で話してたじゃないか」

僕は自分が話すはずのない自分の秘密を、斉木さんがテレパシーで読み取ったのだととっさに思った。僕の頭の中の考えは他人にいつの間にか漏れているのだ。僕は他人に囲まれて入院生活をするのが恐ろしくなった。

あとになって思いあたったのだが、おそらく僕は大量の睡眠薬による副作用で健忘を起こして、前の晩に自分の性遍歴を斉木さんたちに話していたのだ。ハルシオンは持続時間が短い超短時間型の睡眠薬で、安全性が比較的高いため、睡眠障害の治療に広く使われる。しかし、服用後に一時的に記憶を失う副作用、いわゆる「健忘」が起こることがある。その状態は酒に酔って記憶を失うのと同じ感じで、本人の記憶していない言動をしてしまうのだ。僕自身、退院後にも何度か健忘を起こしたことがある。そんな薬の副作用があるとは知らず、まだテレパシーが存在するという妄想の残っていた僕は、斉木さんに自分の心を読み取られたと思い込んでしまったのだ。


斉木さんは30代後半で、若いときに発病して以来長期入院をしていた。病名は聞かなかったが統合失調症だったと思う。彼は病気の症状はもうほとんどなくて、ごく普通の人だった。大人しく気が弱いが、少しひねくれた皮肉屋だった。僕も知っているある離島の出身で、正月には親族がむかえに来て里帰りしていた。島に帰るのは盆と正月だけ。あとは外泊することもなく病院で過ごしていた。

「小さな島だから、俺なんかがいると家族に迷惑かけるんだよ」

斉木さんはよく、自嘲するようにそういっていた。


今、日本の精神病院入院患者は30万人を超えるそうだ。しかし厚生労働省の調査によれば、そのうちの7万人は、地域に受け入れ先などがあれば退院すことが可能なのだという。「社会的入院」と呼ばれる人々だ。長期入院している斉木さんも、そのひとりに違いない。

僕の同室だった人のうち5年以上の入院をしていたのは、斉木さん・柴さん・的場さん・黒川さん。一番若い相沢君と鬱病の井上さんはまだ入院して数ヶ月だった。