僕は統合失調症

30歳の時に発症した統合失調症の発病・入院・回復の記憶

情緒不安定と多弁

入院した時点で、絶え間のない幻聴はすでにおさまっていた。次々に湧き出す妄想も勢いを失っていた。しかし、抗精神病薬が投薬後効果をあらわすのには、2週間はかかるといわれている。僕の場合も陽性症状(幻覚や妄想)がすっかりなくなるまでには入院後もしばらくの時間の経過を要した。


僕の情緒は不安定で、感情の振幅が激しかった。テレビであるニュースを見たときのことだ。中学3年生の男子が、暴力を振るう教師への抗議のために自殺するという事件があった。学校側が事件をうやむやにごまかそうとするのに対して、親が子供の自殺の公表に踏み切り、死んだ息子の想いを伝えようとする姿が報道された。僕はぼろぼろと涙が溢れ、ニュースから受けた悲痛な想いを寺山婦長に訴えた。
また、大相撲で曙が優勝したのを見たときには、曙の喜びに過敏に共鳴し、彼が目から涙を流している幻視が見えた。


わけもなく多幸感に満たされることもあった。優しく接してくれる他の患者さんや看護婦さんが、皆素晴らしい人たちに思え、自分はなんと恵まれているのだろうと感謝の気持ちでいっぱいになった。


そうかと思うといらいらすることも多かった。病棟内の規則でラジカセなどはヘッドフォンを使って聴かなければならないのだが、同室の黒川さんが大きな音を出して演歌など聴いているのが頭にきて「ヘッドフォンをしなきゃだめだろ」と語気荒く注意したことがある。
病棟に電話してきた母親と話していて、ぐじぐじとしつこく心配する母親に「うるせえっ!くそばばあ」と怒鳴りつけたこともある。ちなみに病棟には公衆電話が一台あり、自分から外にかけることも、電話を受けることも自由だった。(精神病院における通信の自由についてはまた改めて説明する予定だ)


もともと人見知りで無口な僕は、非常に多弁にもなった。幻聴に悩まされ、ほとんどしゃべることができなかった急性期の反動もあったのかもしれない。暇をもてあましている患者たちは、新入りの僕に興味を持って話しかけてくる人も多いのだが、彼らに対して僕は、家族のこと・恋人の香織のことなどを倦むことなく繰り返し語り続けた。夜には当直の看護婦さんに話しかけた。僕が自分と同じX大学の出身だと知って話しかけてきた少し年上の紀子さんには、学生時代一人旅をした中国の思い出をとうとうと話して聞かせたりした。


このように情動が激しかった僕に対して、さらに強い投薬が行われたのか、あるいは薬の効力があらわれてきたためか、しばらくすると僕は薬の副作用で舌がもつれ、ろれつが回らなくなってきた。しかし、まともにしゃべるのが困難になっても僕の多弁はおさまらなかった。口を歪ませて懸命にしゃべり続けた。

僕の心は他人とコミュニケートすることを求めるというよりも、急性期に心の中に蓄積された澱(おり)のような感情の塊を過剰に吐き出そうとしていたのだと思う。